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日 時 平成23年8月1日〜8月30日 何時からでも何日でもOKです。 募集人数 10名(多少の増減可能) 参加出来る人 被災地に住んでいる小学校3年生から中学3年生。 運営協力費 無料 ※滞在中の食費、保険料、プログラム費など必要経費を全て含みます。 ※集合解散場所までの交通費は各自のご負担になります(ご相談に応じます)。 募集期間 平成23年7月10日〜7月20日(先着順) 集合解散場所 NPO共育学舎 (和歌山県新宮市熊野川町西敷屋 旧敷屋小学校) 最寄り駅(JR新宮駅 / 紀伊田辺駅)までの送迎あり 申し込み、問い合わせ先 NPO共育学舎 三枝(さいぐさ)孝之 Tel 050-7000-8831 Email saigusa@zb.ztv.ne.jp ※持ち物等の詳細は申し込み後に連絡します。 主催 NPO共育学舎 ホームページ⇒ http //kyouiku-gakusya.itrobo.net/ ☆夏休みスペシャルプログラム☆ 夏祭り 8月14日(日) 木造校舎のグラウンドで出店をしたり、盆踊りをしたり、地元の人と一緒に楽しみましょう! 何をやるかはこどもたち次第です。 宿題! たくさんの宿題もみんなでやればはかどります。メリハリをつけてやりましょう。分からないところは大学生のお兄さん・お姉さんにどんどん聞いてください。丁寧に教えます。 川遊び カヌーや魚とり、えびすくい等々、近くを流れる川で 思いっきり体を動かして遊びましょう! ◆主宰者から一言 子供たちが、普段の家庭や学校とは違う環境の中で、共同生活をします。違う学校の子供や大学生や地域の人たちとの交流の中で、心身ともにリフレッシュし、新しい可能性を発見できるチャンスがあると思います。子供たちの成長のために、時間と空間を提供したいと思っています。 ◆スタッフから一言 ◇リーダー 並河哲次 京都大学卒業 参加者個人のペースを大切にするキャンプです。一人ひとりにとって、特別な夏休みになると思います。どんなことが起きるのか、今から楽しみにしています! ◇リーダー 柴田哲弥 一橋大学大学院卒業/農業 川遊びをしたり、カヌーをしたり、畑や田んぼで農作業をしたり、自然を満喫できる夏休みになると思います! ●●NPO共育学舎さんのその他の取り組み●● いなか研修生○随時募集中 いなかでの生活を体験してみませんか。まずは1週間から。 半日程度の労働との交換で、食事と宿泊場所を提供します。農業やってみたかった人に、ちょっと休みたい人に、そして将来の選択肢のひとつに。 参加方法 休学応援プロジェクト「休学ノススメ」 ○随時募集中 将来の生き方に少しでも疑問をもつ、就職せずに生きていく方法を模索してみたい大学生はちょっと立ち止まってみましょう。 コミュニティシンクタンク「山の学校」 ○シンクタンク 地域に根ざして、地域社会の抱える課題を解決するために、現場で研究し、解決策を考えていくためのシンクタンクです。 研修生の受け入れ、他の市民団体との協働、政策立案などを行なっていきます。
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ページ最終更新日時:2011/07/20 08 52 29 被災者の避難または疎開受け入れ情報はコチラ 熊本へ避難されてこられた方に対する支援の動きはコチラ(熊本被災者支援プロジェクト) 集団疎開表明の動きはコチラ 教育疎開に関する情報はコチラ 震災被災者への物資提供情報サイトアゲマスはコチラ 熊本県による被災農家就業支援についての情報はコチラ 【福島県の中学生以下のお子さまへ】「0円サマーキャンプ」参加者募集のお知らせ 福島県に在住する中学生以下のこどもとその保護者を対象に、 夏休み期間中の約1ヵ月間、九州へ無料でサマーキャンプにご招待いたします。 交通費、宿泊費、食費等サマーキャンプに係る費用はすべて無料です。 皆様ふるってご参加ください! 福島・いわき市の小学生21人、受け入れ計画~夏休み 水俣で交流を~(6/24熊日掲載) 福島第1原発から半径30キロ県内に一部が含まれる福島県いわき市で、夏休みに小学生21人を水俣市へ”一時疎開”させる計画を保護者らが立てている。関係者は、ゆたかな自然環境で子どもたちに羽を伸ばしてもらい、深刻な環境汚染から地域再生を目指す水俣の姿を参考にしてほしいと願っている。 計画を橋渡ししたのは、実母の郷里がいわき市にある水俣市の金刺潤平さん(51)。震災後、里帰りした金刺さんは放射線の影響を心配する保母者の話を聞き、”一時避難”を提案した。 ~中略~ 提案を受け、宮本勝彬・水俣市長も「福島は水俣と同じように県外からの偏見、風評に苦しんでいると聞く。ぜひ協力したい」と受入を快諾した。 ~中略~ 6月中旬、再び現地を訪れた金刺さんは、保護者から「子供達が将来、福島出身と言うだけで結婚差別に遭わないか】という悩みを打ち明けられたという。金刺さんは「水俣も過去に同じようなつらい経験をし、解決するために努力してきた。それだけに今回の交流で子供達が得られるものも多いとおもう。」と話している。 八代市 被災者の生活再建支援(4/29 熊日掲載) 八代市は市内の企業3社が被災者を短期的に雇用すると発表した。 受け入れ企業:ヤマハ熊本プロダクツ(5人程度、期間は数ヶ月~2年程度)、西田精麦(期間は1年程度)、白鷺電気工業(期間未定) 市が相談窓口となり雇用促進住宅や市営住宅も無料で紹介する。5/1に福島和敏市長が宮城県を訪問する際、現地で案内のチラシを配布する予定。 熊本県の被災者受入に関する最新の発表 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 熊本県 【提供可能住戸数】 ・兼営住宅:54戸 ・市町村(29市町村)住宅:257戸 【入居期間】 3ヶ月以内で、一年以内での更新可 【家賃等】 ・家賃:無料 ・敷金:なし ※その他の駐車場代、共益費、光熱水費は入居者負担 【申込受付】 住宅課 096-333-2550、096-333‐2549 (午前8時30分から午後5時15分まで、土日を含む) 熊本市 【提供可能住戸数】 ・市営住宅:50戸 ・特定優良賃貸住宅:73戸(申込受付については調整中) 【入居期間】 原則6ヶ月以内で、一年以内での更新可 【家賃等】 ・家賃:無料 ・敷金:なし ※その他の駐車場代、共益費、光熱水費は入居者負担 【申込受付期間】 ・市営住宅 平成23年3月18日(金)から当分の間 (午前8時30分から午後5時15分まで) ・特定優良賃貸住宅は調整中 詳しくはコチラ 熊本市が物資提供(3/27熊本日日新聞) 市リサイクル情報プラザのリサイクルマーケット商品(家具など)を被災地から市内に移住した人に無償提供。一世帯5点まで。29日から受付ける。要予約。同プラザ電話番号096-380-2799 熊本市の教育の支援体制は教育疎開に関する情報をご覧ください。 佐賀県の被災者受入に関する最新の発表 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 佐賀県 【提供可能住戸数】 14,927人分 (内訳) ・公営住宅 2,877人分(うち県営住宅 72人分) ・上記以外公的施設(旅館、ホテル、公設保健センター) 4,467人分 ・旅館、ホテル、民泊 2,085人分 ・民間アパート、空き家等 4,335人分 ・お寺等 717人分 ・その他(公園内の木造家屋、個人病院の空室、スキー場) 446人分 【被災者受入支援チーム】 佐賀市城内1-1-59 佐賀県庁新行政棟4階(危機管理センター内) 電話 0952-25-7385、ファックス 0952-25-7386 E-Mail hisaishaukeireshien-g@pref.saga.lg.jp 詳しい情報はコチラ 佐賀県私立中学・高等学校での就学受け入れ→コチラ 佐賀県教育委員会は、東北地方太平洋沖地震の被災者の佐賀県での就学機会を保障します→コチラ 佐賀県被災者受入専用ページはコチラ 支援者の「受け皿」発足 NPO法人が県内10団体と連携(3/29西日本新聞) 東日本大震災の被災者を支援しようと、国際交流に取り組む佐賀市のNPO法人「地球市民の会」は、県内の約10団体と連携し、新団体「ふるーつばすけっと・佐賀」を発足させた。支援を希望する市民の受け皿を目指しており、各地で実施される慈善イベントの紹介などを予定している。つづきはコチラ 大分県の被災者受入に関する最新の発表 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 大分県(更新日:2011年3月17日更新) 1.入居対象者 平成23年3月11日に発生した平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震等によって被災し、又は避難指示等により避難し、現に居住する住宅に困窮している方 2.入居の形態等 以下の2通り。 (1)一時入居(期間の定めあり) 1)入居(使用)期間 6ケ月(1回の更新可) 2)敷金 免除 3)使用料 免除 4)連帯保証人 免除 5)収入基準等要件 公営住宅法上の入居者資格要件を問わない (2)特定入居(無抽選による通常入居、入居期間の定めなし) 1)敷金 免除 2)家賃 当該住戸の最低家賃の1/2(2年目以降は別途算定) 3)連帯保証人 1名(通常2名を1名に免除) 4)収入基準等要件 公営住宅法上の入居者資格要件を満たすこと 3.申込受付場所 (1)の一時入居については、以下の所へ 場所:大分県土木建築部公営住宅室(大分県庁新館6階) (2)の特定入居については、以下の所へ 場所:大分県住宅供給公社住宅管理部(大分市城崎町1丁目2番3号) 4.申込時に必要な書類 ・り災証明書(共通) ・被災時の居住地が確認できるもの ※(1)被災状況等により、用意できない場合はご相談ください。 ※(2)入居決定時には、別途必要な書類があります。 5.提供住宅戸数 33 6.問い合わせ先 (総合相談窓口)詳しくはこちらへお尋ね下さい 大分県土木建築部公営住宅室 TEL097-506-4684(直通) (特定入居申込場所) 大分県住宅供給公社住宅管理部 TEL097-532-5137(直通) 詳しい情報はコチラ 大分県教育委員会における東北地方太平洋沖地震被災者への支援→コチラ 長崎県 【提供可能住戸数】 ・民間ホテル、旅館:301世帯分 ・公的宿泊施設:237世帯分 【入居期間】 災害援助法支援期間(2ヶ月、~5/11迄)を想定 【提供するサービス内容】 ・宿泊 冷暖房、トイレ、入浴可能(シャワーのみの施設もあり)な家族単位の宿泊 ・食事(一日3食) ・電気、ガス、水道 ・学校転入学 ・健康サポート ・一時貸付金 30万円 ・日用品 当面必要な衣料品、ティシュペーパー、オムツ、生理用品等 ・各種相談 ・就労支援 【入居相談】 長崎県土木部住宅課 095-894-3102、長崎県住宅供給公社095-823‐3050 (午前9時から午後5時まで) 詳しい情報はコチラ 長崎市の市民有志 被災者支援の組織結成 長崎ソカイネット(3/26西日本新聞) 長崎市に一時的に避難してくる被災者を支援しようと、市民有志が25日、被災者の生活を支えるボランティア組織「長崎ソカイネットワーク」を立ち上げた。つづきはコチラ
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2024年元旦能登半島地震 / 輪島市中学生集団疎開 / 珠洲市中学生集団疎開 能登半島の輪島市、珠洲市等の中学生を親元から離し集団疎開(避難)をさせるという、ニュースがありましたが、未成年を長期間集団疎開するには無理があります。… — 葡萄柚 (@tpmp_drea_ma5v3) January 14, 2024 .
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憂「おねえちゃん、起きる時間だよ」 唯「ん~、もう少し大丈夫だよ」 今日は、おねえちゃんは夏フェスに行く日です。 集合場所に一番に行くんだって、張り切って早く寝たはずなのに なかなか起きてくれません。 憂「おねえちゃん、集合場所に一番乗りするって言ってたでしょ。起きてよ~」 唯「は!そうでした。ただいま起きます」 やっと起きてくれました。 憂「早く顔洗って、着替えてね。私朝ごはん準備するから」 私は台所で朝ごはんの準備。 お姉ちゃんが出かける準備が完了する頃に、 朝ごはんの準備も完了します。 いつもより、ほんの少し速いペースで朝ごはんを食べ終わったお姉ちゃんに、 荷物を渡しました。 酔い止めを飲んでもらうのも忘れません。 憂「お姉ちゃん行ってらっしゃい」 唯「うん、憂、行ってくるね。お土産買ってくるからね」 ううん、お姉ちゃんが楽しかったって笑顔で話してくれることが一番のお土産だよ。 お姉ちゃんは楽しそうに出かけていきました。 ドアが閉まったとき、寂しい気持ちになりました。 明日の夜まで、お姉ちゃんは帰ってこないよって言われた気がして… 朝ごはんの片づけをした後、コーヒーを飲みながら 早朝のニュース番組を見ていました。 天気予報がやっています。 夏フェスの開催地の天気は晴れの予報でした。 晴れだって。良かったね、お姉ちゃん。 嬉しくなったので、お姉ちゃんにメールをしようとしたら、 お姉ちゃんからメールが来ました。 このタイミングの合いかただけで、嬉しくなってしまいます。 もちろん、すぐに返信しました。 お姉ちゃんはバスの中から、メールをしていました。 無事に出発したみたいです。よかった。 でも、集合場所に一番乗りだったのに、誰にも気がついてもらえなかったみたい。 お姉ちゃん、かわいそう。私だったら、すぐに気がついてあげるのに。 …それにしても、バスの中でメールして大丈夫なのかな。 酔い止め飲んでも、酔うときがあるお姉ちゃんなのに。 梓ちゃんから、メールが来ました。 やっぱりお姉ちゃんは、酔ってしまったそうです。 ちなみにさわ子先生は二日酔いだそうです。 具合が悪い人が二人もいて軽音部の皆さんも大変です。 到着するまでに良くなってくれるといいな。 朝の涼しいうちに、宿題をやってしまおうかと思っていたけれど、 落ち着かないので掃除と洗濯をしました。 じっとしているよりも、体を動かしているほうが 心配がまぎれます。 いつもは出来ないところまでお掃除をしたので、 ちょっとした大掃除になりました。 お掃除も終わって、お昼の準備をしているとき、 お姉ちゃんからメールが来ました。 アイスを食べている写真がついていました。 車から降りたら、すぐに元気になったみたいです。 アイスを食べているみたいなので、もう大丈夫でしょう。 お姉ちゃんが元気になって、よかった。 さわ子先生は大丈夫かな? 午後からは、お隣のおばあちゃんの家の 草むしりのお手伝いに行きました。 おばあちゃんは元気だけど、 やっぱり一人で草むしりするのは大変です。 だから、時々、お手伝いをしてるんです。 おばあちゃんはとても喜んでくれました。 でも、これくらいは当然だと思ってます。 だって、いつもお世話になっているんですから。 お姉ちゃんからは、時々、メールが来ました。 夏フェスには人がいっぱいいるそうです。 迷子にならないでね、お姉ちゃん。 一人で勝手にどこかに言っちゃだめだよ。 焼きそばを買おうとしたけど、売り切れだったみたいです。 かわいそうなおねえちゃん、おなかすいてないかな? 紬さんも、せっかく楽しみにしてたのに、残念だな。 河原でみんなでたこ焼きを食べたみたいです。 よかったね、お姉ちゃん。 お姉ちゃんが楽しんでる様子が伝わってきて、 私も嬉しくなってしまいます。 今日は、おばあちゃんの家にお泊りです。 草むしりを手伝ってくれたお礼にって、 ご馳走を作ってくれました。 いつもお世話になってるお礼に、お手伝いをしたのに また私がお世話になってしまいました。 でも、おばあちゃんが作ってくれるご飯はとても美味しかったです。 味付けを教えてもらいました。 今度、お姉ちゃんにも食べさせてあげよう。 ご飯を食べた後は、おばあちゃんと一緒に野球を見ました。 応援していたチームは負けてしまいました。残念です。 朝も早かったし、大掃除と草むしりをして疲れたので、 ちょっと早めに寝ることにしました。 お布団はおばあちゃんの隣です。 お姉ちゃんに、おやすみなさいのメールをして、お布団に入りました。 きっと今日はおねえちゃんは遅くまで起きていると思います。 お姉ちゃん、いっぱい楽しんでね。おやすみなさい。 夜中に、ふと、目を覚ましました。 一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなりました。 ああ…お姉ちゃんはいないので、 おばあちゃんの家にお泊りしてたんだっけ。 急にお姉ちゃんがいないことが、寂しくなってきました。 おばあちゃんがいるから寂しくないはずなのに… 急に泣きそうになってしまいました。 涙をこらえていると、おばあちゃんが私の頭を撫でてくれました。 おばあちゃんはとても優しい顔をして、私を撫でてくれました。 おばあちゃんのお布団に一緒に入って寝ました。 暑かったでしょう、おばあちゃん。ごめんなさい。 朝は、少し寝坊してしまいました。 おばあちゃんは、もう起きて朝ごはんを準備してくれています。 美味しい朝ごはんをご馳走になって、家へ戻りました。 おばあちゃん、ありがとう。お世話になりました。 午前中は、読書感想文用の課題図書を読んでいました。 自分の読書感想文は早めに終わらせています。 もしかしたら、お姉ちゃんの分も 書かなきゃいけないかもしれませんから。 ううん、きっと書くことになるでしょう。 受験勉強に集中させてあげないと。 時々お姉ちゃんからメールが入ります。 昨日は遅くまでみんなで起きていたみたいです。 でも、寝不足だとまた車に酔わないかな…? ちょっと心配です。 午後は、和さんが家に来てくれました。 和さんは美味しいケーキを持ってきてくれました。 和さんと一緒に勉強をしました。 宿題で分からないところは、教えてもらいました。 勉強が終わったら、ケーキを食べておしゃべりです。 和さんは進路のこと、将来のことを色々と話しをしていました。 さすが、しっかりしています。 お姉ちゃんのことも、心配していました。 お姉ちゃんのお姉さんって感じです。 それだったら、私は和さんの妹にもなるのかな。 しっかりもののお姉さん。それが和さん。 和さんと、おしゃべりしているときに お姉ちゃんからメールが来ました。これから帰るそうです。 今からだったら、到着するのは夜遅くになるでしょう。 もちろん、お姉ちゃんが帰るまで起きて待っているつもりです。 元気に帰ってきてね、お姉ちゃん。 でも、車酔いはするかもね… そう思っていたら、梓ちゃんからメールです。 またお姉ちゃんは酔ってしまったそうです。 ただの車酔いと分かっていても、心配になってしまいます。 和さんは、そんな私を微笑みながら見ています。 夕食を食べた後、和さんは家に帰りました。 梓ちゃんから、今どの辺にいるかを伝えるメールが来ていましたが、 そのうちメール止まってしまいました。 多分、寝てしまったんでしょう。仕方ないですね。 テレビを見たりゲームをしながら、到着のメールを待っていました。 もうそろそろ、眠くなってきたとき、お姉ちゃんからメールが来ました。 帰ってきたそうです。 このメールを、どれだけ待ったことでしょう…少し大げさですね。 私はすぐに、お帰なさいメールを返しました。 それから夜道は危ないから、タクシーで帰ってくるように、とも。 しばらくすると、車の音が聞こえてきました。 そして、車は家の前で止まりました。 私はすぐに玄関に向かい、ドアを開けると、お姉ちゃんがいました。 唯「憂、ただいま」 憂「おかえり、おねえちゃん」 おわり 戻る
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物資の乏しい戦時下において、燃料の不足から、多くの軍艦は、港に足止めを食らっていた。大和も、呉のドックにつながれて久しかったが、アメリカ軍の作戦に対応するために、3月29日、徳山港へと向かった。 多くの兵士たちはあずかり知らぬことだったが、海上特攻隊の一端を担うための移動であった。 すでにそのころ、物資、そして熟練のパイロットの著しい不足により、頼みの綱であった航空機による特攻も戦績を上げることが少なくなり、アメリカ軍の制空権下における航空機の援護のない水上部隊の特攻など失敗に終わることは目に見えていた。 第2艦隊司令長官の伊藤整一中将は最後まで作戦に反対だったという。 「玉砕」などと、言葉を飾っても、それは兵士たちに、一人残らず死ねというのと同じことだった。 第2艦隊司令長官の伊藤整一中将は最後まで作戦に反対だったという。 が、しかし、4月5日に連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将が水上機で飛来し、伊藤中将を説得した。伊藤中将は草鹿中将の「一億総特攻の魁となって頂きたい」という言葉を聞き作戦を了承したという。 いわゆる海軍の特攻である「菊水一号作戦」は、この説得の寸前の、4月1日に、連合軍が、沖縄上陸を開始したと同時に発令された。 生きて帰るあてのない戦いである。 一兵卒である、琢磨にその決死の作戦の内容が、詳しく伝わろうはずもなかろうが、ぴりぴりとしたムードは、艦内全体にいきわたっていた。 そんな中でも、あやたちはいつもと同じ調子で、「すきあり!」なんて、今度は二人がかりで、琢磨の尻に爪楊枝を刺してきて、振り返ると、きゃっきゃと逃げてゆく。 ねずみというより猫のようだが、猫はここまで大喰らいではあるまい。日に二回のおやつを、何より楽しみにしているようだ。 そんな彼女たちの、日常を乱されぬ姿は、いくばくは、兵士たちの心の平安を取り戻すのに役立ったようで、尻を押さえている琢磨を、指差して笑っていたりする。 「お前ら、なあ・・・・」 なみだ目で文句を言うと、「油断してるほうが悪いんだもん♪」なんて、澄ましていってのけやがる。 「つける薬なしだな」 ぼやくことしきりの琢磨だった。 だが・・・・。 「本当か?」 青い顔をして、琢磨が同郷の兵士に問いかけた。 「いまさらうそを言ってどうなる。・・最終決戦になる。生きて帰れるあては、ない。考えても見ろ、輸入が止められて、食うものすらまともに手に入らないのに、どうやっ たら戦って勝てるんだ。神風なんて・・・・吹かないさ」 出撃に必要な重油すら、タンクのそこにたまったような、計量すらできないような最低な粗悪品をかき集めてそれでも満タンの約7割弱しかない。そう、その男は琢磨に教えた。 「みろよ、この間慰問で届いた本国の小学生からの手紙だ。ふん『オ国ノタメニ、立派ニ戦ッテ名誉ノ戦死ヲシテ下サイ』だとさ。お前、自分の親父にも同じことをいえるのか、それとも言ったのか・・・・」 唇をかみ締めて、その男は言葉を切った。 後数日。数日で作戦は実行され、そして・・・・。 運命の4月6日。 菊水作戦、いわゆる天一号作戦にて沖縄突入を大和と二水戦、矢矧+駆逐艦8隻に改める。徳山港を出向し、大和は艦首を沖縄へと向けた。 このとき使用された重油は、先に述べたとおり、タンクの底の澱やら、南号作戦で必死に持ち帰った重油などをかき集めていたものらしい。 それを、同郷の男から、琢磨は聞かされていた。 『日本は・・・・負ける』 熱に浮かされたように皇軍の勝利を信じて疑わない民間人と違い、戦いを肌で知る軍人たちは、そんな幻影など露ほども信じてはいなかった。 物もない、人もいない、ないない尽くしのこの状況で、残せるものは、唯一己の死に様のみ・・・・・! 誰もが、この作戦の結果を予想し、口数は少なかった。 その中でも、相変わらずなのはあやたちで、お互いの髪を、三つ編みにしあったりしている。誰も、あやたちにかまう余裕がないのだ。 戦況は、限りなく不利だった。物資を十分蓄えた連合軍との戦いは、子供と巨人の戦いにも等しかった。また、B29-スーパーフォートレスが、頭上を偵察に来る。レーダーと、偵察機。こちらの状況を、敵は完璧に把握していた。 琢磨たちに知らされることではなかったが、この作戦における大和の役割とは、「おとり」であった。 主にアメリカ海軍の邀撃戦闘機を大和攻撃隊随伴に振り向けさせ、日本側特攻機への邀撃を緩和し、もし沖縄にたどり着ければ東シナ海北西方向から沖縄島残波岬に突入、自力座礁し大量の砲弾を発射できる砲台として陸上戦を支援し乗員は陸戦隊として敵陣突入させる。 もし、たどりつければ・・・・。 すでに、日本軍の暗号すら、アメリカ軍は解読していて、そんな捨て身の作戦の全貌すらも把握していた。 それがはなむけでもあるかのように、九州近海までは、陸上基地から発進した航空機が艦隊の護衛を行ったが小規模な編成であり、見送りに近いものであった。 燃料不足からか、それも途中で帰還し、その後は、べったりとアメリカ軍の偵察軍が、大和に張り付く。 三交代制の勤務ではあるが、有事ということで、みな持ち場に詰めている。 あやは・・・・艦長とともにいるよう命じられ、琢磨は世話係の任をとかれた形で、持ち場についていた。 上官の言葉が、重く琢磨にのしかかる。彼女たちが持つ特殊能力が、今まさに使用されようとしている、・・・・最悪の形で。 神機将ニ動カントス。皇国ノ隆替繋リテ此ノ一挙ニ存ス。各員奮戦激闘会敵ヲ必滅シ以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ 出撃にに際しての訓示。 ・・・必滅。 生きて帰れると思うな。 これを、部下に発言した伊藤長官も、断腸の思いであっただろうが、覚悟を決めるには、必要な言葉だった。 4月7日、払暁、日本艦隊は大隅半島を通過し外洋へ出て、南へ九州から沖縄本島へと向かった。 あとわずかな時間しか残されていない。 なぜか奇妙に、乗員たちは表情を緩めることはなかったが、悲壮な顔はしていなかったのである・・・・。 作戦の意義はまさに一億総特攻の魁(さきがけ)生きて帰れるという期待は、微塵もない先頭に突入の中で、不思議と気分は高揚していた。 みなが、みな職業軍人というわけではないが、大和魂を持つ男として、故郷に残る家族に、自分の戦死が伝えられたとき、恥ずかしくない最後であろうと、一同の志は同じだった。 犬死とは思わない。死せる後の魂は、きっとこの国の守護の柱になるだろう。ゆえに、取り乱すようなまねはできない。 「うわっ!!」 4月7日、昼過ぎ、アメリカ海軍艦上機を50キロ遠方に認め、大和は射撃を開始。 即座に、反撃ののろしが上がった。艦爆数機が大和を襲い、その衝撃に足元がふらついた。 とっさにその辺のものにしがみついて、それをやり過ごす。 「おいでなすったぜ・・・」 誰かの呟きが聞こえた。 「後部射撃指揮所、被弾!!」 悲鳴が上がった。その場所は、この大和の一番の急所だったのを、専門知識のある琢磨は、知っていた。 (長くは、持たんな・・・・) せめて、なにぞ形見を家族に残したいが、この状況ではそれもかなわぬだろう。 あの庭に植えた、桜の木が、せめてもの形見になってくれる・・・。 軽く頭を振り、気持ちを切り替えることに専念した。 「火が出た!消火班は、各自消火用具を用意の上、艦内後方に集結せよ!!」 怒号があがる。 かけてゆく顔見知りの乗員が、「左舷前方、魚雷被弾。左舷中央部に複数被弾だ!!」 と、短く状況を教えてくれる。 その後も、魚雷や、爆撃を受け、そのたびにショックで足元がふらつく。 もはや、時間の問題。 その中で、伝令が、琢磨を司令室へと呼び出した。 左舷中部に食らった魚雷の影響で、艦は左に20度傾いていた。傾斜復旧、見込みなし。 走りにくいそれを、何とか全速力で駆け抜け、あわただしい司令室へ。 大和は爆弾の直撃を受け、艦内では火災をおこし、艦上では対空兵器が破壊された。攻撃の手段をもぎ取られ、米軍の高性能爆薬を搭載した魚雷による効果的な左舷集中攻撃の結果、復元性の喪失と操艦不能を起こした。 誰の目にも、はっきりと、終焉が映っていたに違いない。 場違いに立ちすくむ琢磨の前に、艦長の肩からぴょこんと飛び降りたあやが、「ごめんね、来てもらっちゃって。こっちから行くとほら、時間かかりすぎるんで、非常事態だしね」 と、琢磨に少し申し訳なさそうな顔をしているのが、妙に現実感がなかった。 「あやを、頼む。決死隊を結成させた。直ちに、あやを連れて、貴様は戦線を離脱し、・・・・あやを無事に本国へ届けてくれ」 雲上人である、艦長じきじきの言葉だった。 「で、悪いけど、この子お願い」 八重の後ろに隠れるようにしていた七重を、腕を引っ張って、琢磨の前に突き出してきた。 「多分、近くにいるほかの艦が拾ってくてれると思うから、そっから先は、運任せね」 そうか、犠牲はどちらかだけで十分だもんな・・・・。 上官から聞かされたあやの特異能力、レシーバーは、大本営に詰めているのだから、貴重なあやは、できうる限り温存しようとするだろう。 「じゃあね、七重。みんなにあえたら、よろしくね」 「うん、じゃあ、八重。あっちでね」 短い挨拶を交し合った後、ゆれる足元からぴょん、と、七重は琢磨に飛びつき、するするとましらのようにその方に登ってきて「行くよ」と、まるでこの戦況がないかのような落ち着いた・・・・いや、状況わかってるのか?こいつ・・・・。 みためちんまいから、子供を相手にしているようで、七重は、八重との今の別れが、今生の別れと理解しているのかと一瞬悩む。 だが、あやたちが口にした「あっち」とは・・・・。 (一応、わかっちゃいるんだろうな) 「いけ。生き延びろ。そして、あやと、これからのこの国を、頼む」 短い命令だった。 艦長に、別れの敬礼、そして七重を引っつかんで、決死隊の隊員とともに甲板へと駆け上がる。 右往左往の仲間たち、それを見捨ててゆくことが心残りで仕方ないが、今ここであやを失うことが、まるでわが子を失うことのように恐ろしかった。 兵士たちも、決死隊にはべるあやをみて、敬礼、手の離せないものは目礼を送ってきた。 交代で取る食事の時間、そのあとのわずかな休憩時間に、あやはちょうしっぱずれな童謡を歌ったり、ちょこまかと動き回って、兵たちたちに話しかけたり、慰問の役目も自分のものとしていたのだから。 あやの姿は、国へ残してきた家族を思わせた。 ゆえに兵士たちは一人残らず琢磨たち決死隊に「生きよ、そして、あやを頼む」と、心で叫び、送り出してくれたのだ。 「おい、もっていけ!」 いきなり袖を引かれて転びかける。 食料班の、あの、あやに手を焼かされていた男だった。 ずいっ、とチョコレートを突き出し、「特配を、もし一時帰宅が許されたらととっといたもんだが、帰れそうにないんでな。あや、おまえにやるよ」 にやりと、歯を見せて笑うその男は、己の死に、何の迷いももはやない。 「ありがと。大事に食べるね」 深々とお辞儀をするあやに、「もし生き延びて、うちの里のほうに行くことがあれば、坊主にとうちゃんの死に様を語ってくれな。じゃ!」 そういうと、持ち場へとかけて戻ってゆく。 それを見送る余裕もなく、悲鳴を上げる足をだましながら、甲板のボートへと、飛び移る。 「武運長久を!」 攻撃の激しい中、ボートを海へと放してくれた兵士たちと短い別れを交し合い、決死隊は弾幕の中、大和より遠ざかり始めた。 煙を上げ、傾いた船体は、巨大な棺桶。幾千もの兵士たちが、艦と運命を共にしようとしている。 「そろそろ、甲板に着いたころかな?」 一秒ごとに悪くなる戦況報告を聞きながら、肩に座る八重に声をかける艦長。 「まあ、何とかなるでしょう。あやの食欲と強運をなめちゃいけないのよね」 飄々とした八重に、こんなときなのにくくっ、と笑いを漏らす艦長の目には、深い決意と、穏やかな深さがあった。 「右舷被弾!浸水しています。被害状況は、おい!状況を報告しろ!おい!・・・・・・だめだ、通信がとぎれました!」 通信士が、顔色を変えて叫んでいる。 「あや・・・お前とも長い付き合いだったな。俺が新兵だったころの長門に、お前は配属されていた。まあ、新兵の洗礼として、お前はずいぶんと俺をいじってくれたなあ」 遠い昔を懐かしむような声を出す老人に、「まったく長い間ずいぶんとこき使ってくれちゃって、やせちゃうじゃないの、こまるわ」と、艦が沈没することなど気にもかけないそぶりで八重が嘆く。 目の前には、直撃を交わそうと必死の兵士たちが、金切り声を上げる最中に、そんな風に最後の会話を艦長とあやは交わしたのだ。 不規則に、艦が大きく揺れる。被弾、よけきれない爆撃が大和を襲い、この巨大な戦艦の息の根を止めようと、時間を置くにつれ、その間隔は短くなってゆく。 「艦長、こちらに!」 まだ若い兵士が、足元をサポートするために艦長のそばへかけよる。艦長だけでも非難してもらい、戦況を立て直し、鬼畜米英に一矢報いてほしいとその目は語っていた。 「わしは、いい。・・・わしは、この船最後の艦長だ。大和と最後を共にする」 「し、しかし!」 数千人の命がいまこの場で失われようとしているのに、艦長である自分ひとりが、おめおめと生き延びるような生き恥をさらすことが、どうしてできようか。 みなぎる決意を看取った兵は、ものも言わずに敬礼を取り、自分の持ち場へと駆け去った。艦長と同じく、自分が今、なすべきことをやり遂げるために。 「最後の一仕事を、お前にも頼まなくてはな、あや」 ひげに手をやりながら、被弾のために轟音鳴り響く中で、最後の確認をするように、艦長は言った。 「まかせといてよ。・・・勝利の女神にはなり損ねたけど、あちらとこの世の橋渡し、誰一人の取りこぼしもなくやって見せるわよ、チョコレートの御礼はするわよ?」 ちょっとしたわがままで、もののないご時勢だというのに、ぜいたく品であるチョコレートを艦長にねだって取り寄せさせていた。 「ふむ。投資は無駄にならなかったな。結構、結構」 「あやは、約束はきっちり守るわよ」 力のみなぎった返答に、「だが困ったことがあってな?」と、艦長は眉をしかめた。 「ここだけの話、わしは方向音痴でな、迷子にならずに向こう岸へいけるか、心配でかなわん」 「まったく・・・」 腰に手を当てて、駄々っ子に言い聞かせるように、「艦長の命を受ける前に言いなさいよ、そういうことは。もう、しょうがないわね、面倒見るわ、みてあげるわよ。誰一人取りこぼさずに、向こう岸へ連れて行ってあげるわ。だって、それがあやの最大の使命なんだもの」 「ああ、だめ!八重は、交信を拒絶している!!」 七重の絶望的な声が上がった。 大和の姿に気をとられていたが、見れば今まで平然としていたかのように見えた七重が、滂沱の涙で大和に視線を投げていた。 なきながら七重は歌いだした。 『命のまたけむ人はたたみこも 平群の山の熊笹の葉を うずにさせ、そのこ 』 大和にあわせたのだろうか、ヤマトタケルノミコトの時世の句に節をつけ、何かを導くような歌声を震わせている。 「ああ、八重も歌っている。みんなを、導く歌を」 絶望に満ちた声。だが、残してきた戦友たちの最後を、七重の声で垣間見ることができた。 決死隊、総勢5名。 すべてが、ボートの中、大和を見送りながら、最敬礼でその葬列を見送った。 聞こえてくる歌は、童謡の「ふるさと」 いつものオンチっぷりは鳴りを潜め、しんしんと心にしみてゆくような響きだった。 「ああ、あやが歌っている・・・、チクショウ、帰りたかったなあ・・・・」 片手を吹き飛ばされ、壁にたたきつけられた若い兵士のつぶやき。 ふるさとをもや兄弟を思わせる歌声に、死に行く恐怖と悔しさを緩ませて、がくり、とそのこうべを垂れ、戦いに、その命を散らす。 『ついてきて』 命が燃え尽きる前に、あやの声が心に響いた。 『もう、あと少しでみんなそろうわ。大丈夫、アタシが連れて行ってあげるから・・・・』 「・・・・それで、ひいおじいちゃんは、どうしたの?」 おじちゃんは、あいまいな顔をして見せた。 「まったく無事というわけにはいかなかったな。総攻撃、機銃掃射を受けながらの撤退で、足を打ち抜かれてしまっていたんだ。それでも、ほかの友軍、ええっと、味方だな、それに助けてもらって、病院へ運ばれた」 そして、目を細めて遠くを見ながら、「・・・被雷8本以上、直撃弾10発以上。戦死2,740、戦傷117名。 そのとき、大和だけで、それだけの軍人さんがなくなった。ひいおじいちゃんは、運がよかったんだよ」 おじいちゃんのいってる言葉の意味は、僕には全部はわからなかったけど、それがとってもつらいことって言うのはよくわかった。 ・・・・だって、おじいちゃん、泣いてる。 そしてボクは、一番気にかかっていたことを、おじいちゃんに聞いたんだ。 「あやの、七重は、どうなったの・・・・?」 おじいちゃんは、庭に目を向けたまま、「となりのな、じいちゃんの妹がいるだろう。芳江ばあちゃんだ。芳江ばあちゃんの死んだお婿さんな、あやにチョコをくれた軍人さんの、息子だったんだぞ?大人になってから、尋ねてきたんだ、父の最後を知りたい、とな」 ・・・・びっくりだった。 芳江おばあちゃんのお婿さん、ボクは写真でしかその人のことは知らないけど、写真はお座敷に飾ってあるんで顔は知ってるよ? ほかにも、テンノーヘイカ、とか、ノギショウグンとか、古い、変な、白黒の写真もかざってあるんだ。 「縁を信じるか?あきら。人には、見えない縁というものがあるんだ。ひいおじいちゃんが、あや二人に名前をつけたときに、そこに縁が生まれた。ほかのあやたちが持っていない名前をつけてもらった、特別なあやは、やっぱり守り神だったんだよ、ひいおじいちゃんにとってはな」 そういいながら立ち上がるとおじいちゃんは、お仏壇に線香を上げて、位牌を拝んだ。 「・・・守られて、戦後の混乱期も何とか乗り越えて、ひいおじいちゃんの死に顔は、安らかだったよ。気にかけていた戦友の息子と、自分の娘を娶わせて、孫にもめぐまれ、農園も広げられ・・・」 そういうおじいちゃんの肩が、何だか前よりずっと薄くなっているのに、ボクは気がついた。 「この子が、あんたの孫なの?」 ぴょこんと仏壇の奥から、ねずみが出た! ・・・・違う、ねずみっぽいけど、女の子、だ。え・・・・もしかして、これは、あや、なの? 「ああ、俺が死んだら、この子を頼むな。やさしい子だ。ちょっとうらなりだがな」 すごい、すごい!おじいちゃんち、広いだけじゃなくて、あやまでいるよ?お化け屋敷みたい。あ、でもママは嫌がるだろうな、テレビでお化けが出ても嫌がるんだもんな。 「あきら、あやのことは、お父さんにもお母さんにも、内緒だ。お前だけに教えてやる。お前とおじいちゃんの秘密だぞ?」 笑ってそういいながら、「おじいちゃんちにきたときは、こうしてこっそり仏壇に、チョコレートをお供えしてやってくれ。たのんだぞ」 「そうよ、芳江んちは、丸ぼうろとか、金平糖とか、かりんとうとか地味~なばあちゃん菓子ばっかりなの。都会的なアタシは、やっぱりロイズのチョコとかが似合うのよね」 澄ましていうあやに、「お前、チロルチョコや、ガーナチョコも好物じゃないか」と、おじいちゃんがあきれたように言う。 「んもう、琢也はだまってて!いいこと、おちびさん。女の子は大切に扱わないとね、女の子のリクエストは、はいつくばってでもかなえるのが、男の甲斐性なんだから」 リフジンだとおもうけど、パパとママを見ていたら、納得できちゃうのがいやだなあ・・・・。 そしてボクとおじいちゃんとあやは、縁側でおやつを食べながら、いろんな話をした。ボク、ちょっとこれで女の子苦手になっちゃったかも。 春休みの終わりに、パパとママがボクを迎えに来た。 「親父、無理はするなよ」 「お義父さまが、お世話になりますけど」 そんな別れの挨拶を、おじいちゃんや、お隣と交わしながら、ボクは、ママにせきたてられるように車に乗せられた。 ゆっくりと手を振るおじいちゃんの胸ポケットから、ちっさな手だけがバイバイと手を振ってるのが見えた。 これが、ボクの最後のおじいちゃんとの思い出。 そのあと、ヨウダイノキュウヘンとかで、一月もしないうちにおじいちゃんは亡くなった。 え?あや? 「ちょっと、今日のチョコが、まだ出てないわよ?ちゃんとチロルチョコもってきてよ!」 「お小遣い前なんだよ、二つでいいでしょ?」 「だあめ。三食で三つじゃない。ちゃんと三個用意しないと、アタシ飢え死にしちゃうじゃないの!」 チェストのうえで、あやが青筋を立てて文句を言っている。やれやれ、小学生に、この出費は、痛いんだよなあ。 ・・・・ボク、やっぱり、ジョセイキョウフショウになっちゃいそう。
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1988 カルガリー五輪(公開競技として実施) 男子 種目名 1位 2位 3位 男子500m ウィルフ・オライリー(イギリス) マリオ・ビセント(カナダ) 石原辰義(日本) 男子1000m ウィルフ・オライリー(イギリス) ミシェル・デノー(カナダ) マルク・ベラ(フランス) 男子1500m キム・キフン(韓国) ルイ・グレニエ(カナダ) オラツィオ・ファゴーネ(イタリア) 男子3000m イ・ジュンフ(韓国) チャールズ・フェルトホーフ(オランダ) ミシェル・デノー(カナダ) 男子5000mリレー オランダ イタリア カナダ 女子 種目名 1位 2位 3位 女子500m モニーク・フェルゼブール(オランダ) エデン・ドナテッリ(カナダ) 李琰(中国) 女子1000m 李琰(中国) シルヴィー・デーグル(カナダ) モニーク・フェルゼブール(オランダ) 女子1500m シルヴィー・デーグル(カナダ) モニーク・フェルゼブール(オランダ) 李琰(中国) 女子3000m 獅子井 英子(日本) シルヴィー・デーグル(カナダ) マリア・ロサ・カンディード(イタリア) 女子3000mリレー イタリア 日本 カナダ 正式種目ではなかったため、上位3位に入ってもメダリストという扱いにはならなかった。 1991以前の世界選手権 男子 年 開催地 総合優勝 総合2位 総合3位 1991 シドニー(オーストラリア) ウィルフ・オライリー(イギリス) キム・キフン(韓国) ジル・ブロンシャー(ベルギー)イ・ジュンホ(韓国) 1990 アムステルダム(オランダ) イ・ジュンホ(韓国) 赤坂 雄一(日本)ウィルフ・オライリー(イギリス) - 1989 ソリフル(イギリス) ミシェル・デノー(カナダ) キム・キフン(韓国) マーク・ラッキー(カナダ) 1988 セントルイス(アメリカ) ピーター・ファン・デ・ベルデ(オランダ) リチャード・サーテン(オランダ) 石原 辰義(日本) 1987 モントリオール(カナダ) ミシェル・デノー(カナダ)河合 季信(日本) - チャールズ・フェルトホーフ(オランダ) 1986 シャモニー(フランス) 石原 辰義(日本) グイ・デノー(カナダ) ロベルト・デブリュール(カナダ) 1985 アムステルダム(オランダ) 河合 季信(日本) 石原 辰義(日本) ルイ・グルニエ(カナダ) 1984 ピーターバラ(イギリス) グイ・デノー(カナダ) 石原 辰義(日本) ミシェル・デノー(カナダ) 1983 東京(日本) ルイ・グルニエ(カナダ) ミシェル・ドリール(カナダ) グイ・デノー(カナダ) 1982 モンクトン(カナダ) グイ・デノー(カナダ) ゲータン・ブーシェ(カナダ) ルイ・グルニエ(カナダ) 1981 ムードン(フランス) ベノワ・バリル(カナダ) ゲータン・ブーシェ(カナダ) マイケル・リッチモンド(オーストラリア) 1980 ミラノ(イタリア) ゲータン・ブーシェ(カナダ) ルイ・グルニエ(カナダ) マルク・ベラ(フランス) 1979 ケベック(カナダ) 戸田 宏(日本) ルイ・バリル(カナダ) ニック・トーメッツ(アメリカ) 1978 ソリフル(イギリス) ジェームズ・リンチ(オーストラリア) ハリー・スプラグ(イギリス) アラン・ラトリー(アメリカ) 1977 グルノーブル(フランス) ゲータン・ブーシェ(カナダ) クレイグ・クレスラー(アメリカ) 戸田 宏(日本) 1976 シャンペーン(アメリカ) アラン・ラトリー(アメリカ) ゲータン・ブーシェ(カナダ) アンドレ・シャブレリエ(フランス) 女子 .
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ハムモル:ハムスター&モルモット スナデグ:スナネズミ&デグー うさぎは2人で3匹を世話してください。 朝チェック:a.m.6 00 ~ a.m.10 30
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なぎーの抱き心地ミシュラン シュネーちゃん ★★★★★(星5つ) 文句なしの星5つ。気持ちよくていいにおいがします。 照れた顔もとっても可愛いです! テレながらも抱きつき返してくれたりしてもー! だいすきー♪ 加奈ちゃん ★★★★▲(星4.5) あんまり抱きつかせてくれません。だがしかし、あの抱き心地は侮りがたし。 たまにしか抱きつかせてくれないのが、希少価値の高い宝石とか、滅多に手に入らない高級食材みたいで価値をあげています。 ちなみにもっとわかりやすくいうと、「ツンデレは正義」です。 ウインドちゃん ★★★★☆(星4つ) すっごく照れます。とっても可愛いのです。 可愛くてふかふかしています。 とある部分もふかふか。……悔しいので星1個減らしちゃえ! 仁科ちゃん ★★★★☆(星4つ) 抱き心地も反応もグッドです。 ただ、最近全然まったく会えません。うにゃーん。 ブリッツさん ★★★★☆(星4つ) 抱き心地というか抱かれ心地というか…… 素敵な女性に抱きつかれると、どきどきしますねー ミナさん ★★★☆☆(星3つ) とってもいい匂いがします。 普通のシャンプーとリンスってゆってたけど、何か秘密があるのではないでしょうか。 体温が低くて夏はひんやり涼しいけど、冬はちょっとツライかも?>< アキラさん ★★☆☆☆(星2つ) 抱き心地はヨイのですが、とっても熱いのです。夏はツライー あとあと、レミング君と恋人同士なので、もはや抱きつけません。うむぅ。 レミング君 ★☆☆☆☆(星1つ) 反応はとってもカワイかったですが、抱き心地としてはイマイチです。 男の子に抱きついても、反応が楽しいだけで気持ちよくはないのでした。 ハーゼ君 ☆☆☆☆☆(星なし) レミング君と違って、もはや反応もそこまで楽しくはないのでした。 むむむ、自分から抱きしめてって言ったのにー。 男の子はよくわかりません。 オルアさん ★もふもふ★(星もふもふ) もふもふです。 もっふもっふ。